




私たちについて
五十吉深香陶窯
五十吉深香陶窯は、大正初期から四代にわたり、石川県小松市八幡にて素地づくりから上絵付までを一貫して行う九谷焼の窯元です。
初代浅蔵磯吉により立ち上げられ、二代浅蔵五十吉は日本芸術院会員・文化功労者・文化勲章受章者という栄誉を得、三代浅蔵五十吉は石川県文化功労賞を受賞、2016年(平成28年)には瑞宝単光章を受章しています。
現在は三代目と共に、九谷焼伝統工芸士である浅蔵一華・浅蔵宏昭の2名の九谷焼作家が五十吉深香陶窯の心と技を継承しつつ日々研鑽を重ねています。
『五十吉深香陶窯のあゆみ』
元禄文化が始まろうとしていた1655年(明暦元)、雪深い山間の里、加賀国江沼郡九谷村(現在の加賀市山中町九谷村)で初めて九谷焼が焼かれました。
その後、創始から約50年後の1710年(宝永7年)に九谷焼は突然廃絶の道を辿ります。
1811年(文化8)九谷焼の再興を図り、本多貞吉らを中心に小松市若杉に若杉窯が築かれ、九谷焼の生産が始まります。花坂陶石として現在でも使用されている磁器の原石を近くの花坂村六兵エ山で発見し、製陶の能力を高め、絵師の招聘により作風を広げ、再興九谷の草分け的存在となりました。
しかし、1836年(天保7)、窯の工場が火災により全焼し、隣村の八幡に移転したことで八幡地域での素地生産が始まります。明治のはじめごろ花坂陶石の特性を活かした素地づくりを探っていく中で置物の生産が始まります。
中央から彫刻家や原型師を招き、指導を受けて技術を向上させ、次第に八幡は置物素地の一大生産地となって行きました。
その八幡で大正初期に工房を開いたのが五十吉深香陶窯の初代 浅蔵磯吉です。磯吉は素地づくりを専門とする職人で質の高い素地を絵付師たちに提供していました。



access
石川県小松市八幡己51
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